- 「科学革命」は、人間が自らの無知を認め、観察と数学を中心に置き、新しい力を獲得しようとして生まれた運動である。
- 人類が「進歩」を信じはじめたのは、科学による発見が私たちに新しい力をもたらすとわかったからだ。
- 近代ヨーロッパ人たちにとって、帝国の建設は科学的な事業であり、近代科学の確立は帝国による征服事業と不可分だった。
- 近代経済は飽くなき成長を求める。科学革命により進歩を信じはじめた人々は、「信用(クレジット)」にもとづく経済体制を確立した。
科学革命
無知の受容から生まれた新たな力

人類は科学研究への投資を通じて、驚異的な新しい力を獲得してきました。これが「科学革命」と呼ばれる現象です。この変革が革命と称されるのは、1500年頃まで、世界中の人々は自分たちが新たな能力を獲得できるとは考えていなかったためです。それまでの人類は、新しい力を得ることよりも、既存の能力をいかに維持するかに注力していました。しかし徐々に、科学研究への投資によって人類の能力を拡張できるという信念が広まりました。この考えを裏付ける証拠が蓄積されるにつれ、富裕層や政府はますます多くの資源を科学分野に投入するようになりました。
認知革命以降、人類は常に世界の仕組みを理解しようと努めてきましたが、近代科学は従来の知識体系と三つの本質的な点で異なっています:
第一に、無知を率直に認める姿勢を持っています。近代科学は私たちが全てを知っているわけではないという前提に立ち、既存の知識が誤りである可能性も考慮します。つまり、どんな概念も絶対的な真理として神聖視されることはありません。
第二に、観察と数学的手法を中心に据えています。近代科学は無知を認めた上で、新たな知識獲得を目指します。そのために、観察から得られたデータを収集し、数学的ツールを駆使してそれらを関連付け、包括的な理論へと統合していきます。
第三に、新しい力の獲得を明確に志向しています。理論構築だけでは満足せず、新たな力—特に革新的なテクノロジーの開発—を追求する特徴を持っています。
科学革命の本質は知識の革命ではなく、むしろ「無知の革命」と言えるでしょう。その始まりは、人類が自らにとって最も重要な問いに対する答えを実は何も知らないという、画期的な気づきにあったのです。この謙虚さが、かつてない知識と力の拡大への道を開いたのです。
進歩思想の誕生:科学革命がもたらした世界観の転換
科学革命以前の人類文化には、現代私たちが当然視している「進歩」という概念がほとんど存在していませんでした。古代から中世にかけての多くの文明では、黄金時代は過去のものであり、現在は衰退の時代であるという見方が支配的でした。
伝統的な多くの信仰体系では、世界の苦難や問題は人間の力では解決できないものとされていました。その代わりに、救世主や神の介入によって救済がもたらされると考えられていました。人間自身が新しい知識や技術を開発することで世界を根本的に改善できるという発想はほとんど見られなかったのです。
このような考え方を象徴するのが、バベルの塔やイカロスの神話です。これらの物語は、人間が自然の摂理や神によって定められた限界を超えようとする試みが、不遜な行為として厳しく罰せられることを教えています。つまり、人間の知識や能力には永遠に超えられない境界があるという考え方が根付いていたのです。
しかし、科学革命の進展とともに、この古い世界観に大きな変化が生じました。科学的発見が実際に人間の能力を拡張し、新たな力をもたらすことができると理解した人々は、「進歩」が単なる幻想ではなく、実現可能な目標なのではないかと考え始めました。
科学的手法によって、従来は解決不可能と考えられていた問題が次々と克服されていく様子を目の当たりにした人々は、次第に大きな自信を持つようになりました。それは、適切な知識を獲得し応用すれば、人類はどのような課題も乗り越えられるのではないかという革命的な考え方でした。
この「進歩」への信頼は、現代社会の基盤となる価値観へと発展していきました。科学革命がもたらしたのは単なる技術的進歩だけでなく、人間の可能性と未来に対する根本的な見方の転換だったのです。私たちが当たり前のように持つ「明日はもっと良くなる」という期待は、実はこの科学革命がもたらした歴史的に新しい世界観なのです。
科学研究と社会的力学の相互関係
現代社会において、多くの人々は科学とテクノロジーがあらゆる問題の解決策を提供できると信じています。この考え方は一見論理的に思えますが、実際には重要な見落としがあります。科学は純粋に客観的で独立した営みではなく、他の文化的活動と同様に、様々な社会的力の影響下にあるという現実です。
科学研究の最も根本的な制約の一つは、その経済的側面です。高度な科学研究には、高価な設備、専門的な施設、訓練された人材など、莫大な資源が必要です。例えば、大型ハドロン衝突型加速器やJames Webb宇宙望遠鏡のような先端的な科学プロジェクトには、数十億ドルの投資が必要とされます。このような資金的制約があるため、科学者たちは自分たちだけで研究の優先順位を決定することができません。
科学の自律性の限界
この経済的依存性から生じる重要な帰結として、科学は以下の二つの点で自律性に制限があります:
- 研究優先順位の設定:
どの研究領域に資金が流れるかは、しばしば科学者以外の人々—政府機関、企業、財団など—によって決定されます。これにより、商業的に有望な研究や政治的に支持される研究が優先される傾向があります。 - 発見の応用方法:
科学的発見がどのように応用されるかについても、科学者自身ではなく資金提供者や政治的権力者の影響が大きく働きます。例えば、ある技術が医療目的に使われるか軍事目的に使われるかは、多くの場合、科学コミュニティ外部の決定によります。
科学の繁栄条件
歴史を振り返ると、科学研究は特定のイデオロギーや宗教的枠組み、経済システムと提携したときに最も繁栄してきました。例えば、ルネサンス期の科学は宗教的パトロンの支援を受け、産業革命期の科学は資本主義的な利益追求と結びついていました。現代でも、国家安全保障や経済競争力といった政治的目標が科学研究の方向性を強く形作っています。
したがって、科学の発展の歴史を真に理解するためには、個々の科学者の業績だけでなく、それらを取り巻く広範な社会的文脈も検討する必要があります。特に以下の点が重要です:
- どの研究が資金を獲得したか、そしてなぜか
- 特定の発見がどのように応用されたか
- どの科学的問いが「重要」と見なされ、どれが無視されたか
- 科学知識がどのように伝播され、誰によってアクセスされたか
帝国主義と資本主義の影響
これらの社会的力の中でも、特に注目すべきなのが帝国主義と資本主義です。これらの強力な社会経済システムは、近代科学の発展において決定的な役割を果たしてきました。帝国主義は新しい資源や市場の獲得を目指し、それに伴って地理学、生物学、人類学などの学問を促進しました。同様に資本主義は、生産性向上や新製品開発のための科学技術研究に大きな投資を行ってきました。これらの力がなければ、今日我々が知る科学の多くの分野は、まったく異なる形で発展していたか、あるいは全く発展していなかった可能性があるのです。
科学とその社会的文脈の複雑な関係を理解することは、科学的知識そのものを理解するのと同じくらい重要です。この視点があってこそ、科学が直面する現代的な課題—研究倫理、資金配分の公平性、科学の民主化など—についても、より深い議論が可能になるのです。
科学と帝国主義
相互促進関係の形成

近代科学の発展がヨーロッパの帝国主義国家で特に顕著だったという事実は、単なる偶然ではありません。この現象は、ヨーロッパ人が生まれながらにして科学的才能に恵まれていたからではなく、科学と帝国主義の営みが根本的な部分で互いを強化し合う関係にあったためです。
科学者と征服者は、一見すると全く異なる目的を持っているように思えますが、彼らには重要な共通点がありました。それは「無知の認識」から出発するという姿勢です。科学者は「私たちはまだ自然界について多くのことを知らない」という前提に立ち、帝国主義者は「まだ見ぬ土地や人々、資源が外の世界には存在する」という認識を持っていました。この謙虚さ(あるいは好奇心)が、両者の探求の原動力となったのです。
発見と征服の結びつき
科学者の目的は新たな知識の発見であり、帝国主義者の目的は新たな領土の征服でした。これらは互いに補完し合いました。新しい土地への遠征は未知の生物、鉱物、天文現象の発見をもたらし、逆に科学的知識は航海術、地図作成、武器開発、疫病対策などを通じて征服を容易にしました。知識と力はこのように循環的な関係にありました。より多くの知識がより大きな力をもたらし、より大きな力がより多くの知識へのアクセスを可能にしたのです。
伝統的帝国主義との根本的違い
ヨーロッパの帝国主義が歴史上の他の帝国と決定的に異なっていたのは、知識に対する態度でした。
古代ローマ帝国やモンゴル帝国などの伝統的な帝国は、すでに世界の真理を把握していると考える傾向がありました。彼らの征服活動は、自分たちの既存の世界観や文化を広めることが主な目的でした。彼らは新しい知識を求めるというよりも、自分たちの「真理」を広めようとしていたのです。
対照的に、ヨーロッパの帝国主義者たちは、未知のものへの好奇心に突き動かされていました。彼らは新しい領土を獲得するだけでなく、その過程で新しい知識を得ることも明確に目指していました。この知的好奇心と物質的野心の組み合わせが、近代帝国主義の特徴となりました。
科学探検の時代
18世紀になると、この科学と帝国主義の結びつきは制度化されるようになりました。軍事遠征には定期的に科学者が同行するようになり、中には主要な目的が科学的探査であるような遠征もありました。
例えば、ジェームズ・クックの航海は新しい領土の獲得だけでなく、天文観測や生物相の記録も重要な目的でした。ナポレオンのエジプト遠征には多数の学者が同行し、古代文明の研究から現地の動植物相の調査まで幅広い科学的活動が行われました。
これらの探検は、単に政治的・軍事的目的だけでなく、科学的知識の体系化という目的も担っていました。博物学者たちは未知の生物を分類し、地質学者たちは鉱物資源を調査し、天文学者たちは南半球の星座を観測しました。
相互依存関係の深化
時間が経つにつれ、科学と帝国主義の相互依存関係はますます深まりました。科学は帝国の拡大を支え、帝国は科学研究のためのリソースと機会を提供しました。植民地は実験室となり、現地の人々はしばしば研究対象となりました。この関係は、両者が共有していた「進歩」という概念によってさらに強化されました。科学も帝国主義も、人間の力と知識を拡大し続けることが可能であり、望ましいという信念に基づいていました。
科学と帝国主義のこの複雑な関係性を理解することは、近代世界の形成過程を理解する上で不可欠です。また、現代の科学研究における権力構造や優先順位を批判的に検討する際にも、この歴史的背景は重要な視点を提供してくれるのです。
飽くなき野心が世界地図を塗り替えた
アメリカ大陸の発見は、単なる地理的拡大以上の意味を持つ転換点でした。この出来事は、ヨーロッパ人の思考方法を根本から変え、後の科学革命の土台を形成することになります。
アメリカ大陸の発見によって、ヨーロッパ人は重要な認識の転換を経験しました。この新大陸は、古代ギリシャやローマの文献にも、聖書にも、どこにも記載されていなかったのです。これは権威ある古典文献の限界を明らかにしました。
この現実に直面したヨーロッパ人は、知識を得るための方法論を変更せざるを得ませんでした。もはや「アリストテレスは何と言ったか」ではなく、「自分の目で何が見えるか」が重要になったのです。この姿勢の転換—過去の権威から現在の観察へ—は、後の科学的方法論の核心となる原則です。
帝国主義的野心が駆動する知識探求
アメリカ大陸を支配したいという野心は、ヨーロッパ人に新しい種類の知識欲を植え付けました。この広大な領域を効果的に征服し統治するためには、実用的な知識が必要でした:
- 地理的知識:山脈、河川、港、航路はどこにあるか
- 生物学的知識:どのような植物が栽培可能か、どのような病気が存在するか
- 人類学的知識:現地の人々の言語、習慣、社会構造はどうなっているか
- 地質学的知識:金や銀などの資源はどこにあるか
これらの問題に答えるため、ヨーロッパ人は観察、測定、分類、実験という方法に頼らざるを得ませんでした。古代の文献はこれらの新しい現実について何も語っていなかったからです。この実践的必要性が、体系的な科学的探究の発展を促したのです。
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前例のない探索と征服の規模
ヨーロッパ人による海外探検と征服活動は、その規模と範囲において歴史的に類を見ないものでした。それまでの帝国—古代ローマ、中国、ムガル、オスマンなど—は主に隣接する地域の支配に集中していました。チンギス・ハーンのモンゴル帝国でさえ、基本的には陸続きの領土の征服でした。
対照的に、ヨーロッパ諸国は文字通り地球の反対側まで船で到達し、そこに恒久的な植民地を建設しました。この未曾有の地理的拡大には、少なくとも二つの重要な要素がありました:
- 技術的イノベーション:改良された船舶設計、航海技術、武器技術
- 知識の体系化:地図作成、天文観測、海流の理解
これらの要素が組み合わさり、ヨーロッパ人は大西洋と太平洋における長期的な支配力を確立しました。ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスといった比較的小さな国々が、自国の何倍も大きな領域を支配することができたのです。
科学革命への影響
アメリカ大陸の発見と征服の経験は、科学革命に少なくとも三つの重要な方法で貢献しました:
- 経験主義の価値:直接観察と経験を知識の主要な源泉として確立した
- 実用的知識の重視:理論的思索よりも実践的な問題解決を優先する姿勢を育んだ
- 体系的なデータ収集:未知の現象を理解するための方法論的アプローチを発展させた
この新しい知識獲得の姿勢は、ガリレオ、ニュートン、ボイルといった科学革命の主要な人物たちの思考方法に大きな影響を与えました。彼らもまた、伝統的な権威よりも実験と観察を重視したのです。
アメリカ大陸の発見は、単に地理的な出来事ではなく、人類の知識に対する姿勢を根本から変えた認識論的な転換点だったと言えるでしょう。科学革命の土台となった「知ることへの新しいアプローチ」は、実際には遠い海の向こうで始まっていたのです。
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科学と帝国主義:双方向の共生関係

科学と帝国主義の関係は単なる偶然の一致ではなく、相互に強化し合う緊密な共生関係でした。この結びつきは複数の重要な側面で展開されました。近代ヨーロッパの帝国主義者たちは、征服と統治の過程で科学的知識の実用的価値をすぐに認識しました。未知の土地を効果的に支配するためには、その土地についての詳細な理解が不可欠でした。
例えば、植物学者は現地の農業可能性を評価し、地質学者は鉱物資源の所在を特定し、言語学者は効率的な統治のためのコミュニケーション手段を確立しました。地図作成者は未知の領域を測量し、医学研究者は熱帯病に対する防御策を開発しました。
こうした知識の獲得が帝国の拡大と維持に直接寄与したため、植民地政府や王室は様々な科学分野への資金提供を惜しみませんでした。イギリス東インド会社が植物学者や言語学者を雇用したり、スペイン王室が大規模な科学調査隊を新世界に派遣したりしたのは、こうした理由からでした。
イデオロギー的正当化の提供
科学は帝国主義に実用的知識を提供しただけでなく、より微妙な形で帝国の存在そのものを正当化する役割も果たしました。「知識の追求」という高邁な目標は、征服と支配という行為に道徳的な装いを与えました。
近代ヨーロッパの帝国主義者たちは、自分たちの行為を単なる征服ではなく「文明化の使命」として描きました。彼らの論理によれば、科学的知識の蓄積は普遍的な善であり、それを通じて「後進的」な社会に「進歩」をもたらすことができるとされました。
実際、帝国主義者たちは医療施設や教育機関、灌漑システムや鉄道などのインフラを建設しました。これらは確かに現地の生活条件を向上させる側面もありましたが、同時に植民地支配を強化し、資源の効率的な搾取を可能にするという目的も果たしていました。科学の名のもとに行われた「改善」は、支配の道具としても機能したのです。
人種主義の「科学的」根拠づけ
科学と帝国主義の関係の最も暗い側面の一つが、人種的優越性の「科学的」証明の試みでした。19世紀から20世紀初頭にかけて、多くの科学者たちが人種間の階層を「実証」しようとしました。
人類学者は頭蓋骨の測定から知能の違いを導き出そうとし、生物学者は「人種の進化」に関する理論を構築し、言語学者は言語の複雑さを文明の発達段階と結びつけました。これらの「科学的」研究は、ヨーロッパ人の支配的地位を自然の秩序として正当化するために使われました。
こうした「科学的人種主義」は、後に完全に否定されることになりますが、当時は帝国主義のイデオロギー的基盤として重要な役割を果たしました。また、その影響は植民地時代をはるかに超え、現代社会にまで及んでいます。
テクノロジーの提供
科学はまた、帝国の拡大と維持に必要な技術的優位性も提供しました。改良された船舶、精密な航海器具、効果的な武器、疾病に対する防御策などは、少数のヨーロッパ人が広大な領域と多数の人々を支配することを可能にしました。
例えば、19世紀後半のアフリカ分割の時期、ヨーロッパ諸国は機関銃や医薬品などの科学的進歩のおかげで、それまで侵入できなかった内陸部にまで支配を拡大することができました。マラリア予防薬であるキニーネの普及は、「白人の墓場」と呼ばれていたアフリカ内陸部への植民地化を可能にした重要な要因でした。
相互依存関係
科学と帝国主義のこの関係は一方的なものではありませんでした。帝国主義が科学から恩恵を受けたように、科学も帝国主義から大きな支援を得ました。
帝国は科学研究のための膨大な資金を提供しただけでなく、研究のための広大な「実験場」も提供しました。遠隔地の動植物、鉱物、人々は研究対象となり、植民地は天然の科学的実験室として機能しました。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学の自然史博物館、パリの国立自然史博物館などは、帝国主義なしには存在し得なかったでしょう。
同様に、帝国のネットワークは科学的知識の流通と交換を促進しました。植民地の科学者たちは本国の学会と連携し、標本や観察結果を共有しました。この広範な知識交換のネットワークは、科学の進歩を加速させました。
歴史的影響と現代への示唆
科学と帝国主義のこの深い結びつきを理解することは、現代の科学と政治の関係を考える上でも重要です。科学は政治的・経済的・社会的文脈から切り離された中立的な営みではないという認識は、科学の成果をどのように評価し、応用するかについての批判的視点を提供します。
現代でも科学研究の方向性は、しばしば政治的・経済的利害によって形作られています。誰の利益のために、どのような研究が優先されるのか。どのような声が科学的議論から排除されているのか。こうした問いは、科学と権力の歴史的関係を踏まえることで、より鋭く問うことができるのです。
科学と帝国主義の複雑な関係の理解は、単に過去を振り返るためだけではなく、現代の科学と社会の関係をより批判的に、より倫理的に考えるための視点を提供してくれるのです。科学的知識の追求という崇高な理想が、どのような政治的・経済的力学によって形づけられるのかを認識することは、より公正で包括的な科学の発展のために不可欠なのです。
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資本主義 信頼が成長を生み出すメカニズム
帝国と科学を支えた経済成長の本質
近代経済を理解する上で最も重要な概念は「成長」です。この一語が、近代以降の経済史全体を特徴づけています。歴史的に見ると、この現象がいかに画期的であるかが分かります。
人類の長い歴史において、経済規模はほとんど停滞していました。農業生産性の向上や技術革新はあったものの、人口増加がそれを相殺し、一人当たりの生産量は驚くほど安定していたのです。1500年頃の一人当たり年間生産量は約550ドル相当でした。それが現代では—子どもや高齢者も含めた平均で—8800ドルにまで増加しています。これは16倍もの増加であり、人類史上かつてない現象です。
成長を可能にした「将来への信頼」
この驚異的な成長を可能にした秘密は何でしょうか?その答えは「将来への信頼」という心理的革命にあります。近代以前の人々は、将来が現在よりも良くなるとは考えていませんでした。彼らの世界観では、黄金時代は常に過去にあり、現在は衰退の時代であり、将来はさらに悪化するか、せいぜい現状維持にとどまると想定されていました。エジプト、メソポタミア、中国、インド、ギリシャ、ローマの古代文明においても、このような「退行的」な時間観が支配的でした。
信用の誕生:存在しないものを担保にする革命的発想
この世界観が大きく転換したことで、「信用(クレジット)」という革命的な概念が生まれました。信用とは、現在はまだ存在していない財やサービスを担保に、現在の活動資金を調達する仕組みです。
この仕組みが機能するためには、将来の資力が現在よりも大きくなるという前提が不可欠です。つまり、将来の成長への信頼が必要なのです。この信頼があってこそ、貸し手は借り手に資金を提供し、借り手は将来の収入で返済できると確信できるのです。
例えば、起業家が銀行から融資を受けてビジネスを始める場合、両者は将来の収益が現在の投資を上回ると想定しています。この単純な取引が、経済成長の基本的なメカニズムとなっています。
科学革命と進歩の概念
なぜ近代以前の人々はこの発想に至らなかったのでしょうか?それは「進歩」という概念の欠如に原因があります。科学革命は、人間の知識や技術が蓄積され、拡大し続けるという新しい時間観をもたらしました。
ガリレオやニュートンの発見は、古代の権威を超える新しい知識が可能であることを示しました。こうした科学の成功は、他の領域でも進歩が可能であるという信念を強化しました。知識の進歩が技術の進歩をもたらし、それが経済的繁栄につながるという連鎖反応が始まったのです。
好循環の確立:信頼→信用→成長→更なる信頼
科学革命によって芽生えた進歩への信頼は、信用制度の発展を促進しました。より多くの人々が将来の成長を信じるようになると、より多くの信用が創出されるようになりました。そして、信用の拡大は実際の経済成長を加速させ、それがさらなる信頼と信用の拡大につながるという好循環が確立されました。
この循環のなかで、銀行や株式市場、保険会社、国債などの金融制度が発展しました。これらはすべて、将来の成長への信頼に基づいて構築された仕組みです。例えば、株式市場は企業の将来価値に投資する場であり、国債は国家の将来の税収を担保にした借入です。
帝国主義と科学への資金提供
この成長循環が確立されたことで、帝国主義や科学研究などの大規模な事業に必要な莫大な資金が調達可能になりました。
帝国主義の拡大には、船舶、武器、人員の移動、インフラ整備など、巨額の先行投資が必要でした。同様に、科学研究も、すぐに利益を生み出すとは限らない長期的な投資を必要としています。信用制度の発展によって、これらの投資が可能になりました。
国家や企業は、将来の植民地からの収益を担保に資金を調達し、その資金で更なる探検や征服を行いました。同様に、科学研究への投資も、将来の技術革新と経済成長への期待に基づいて行われました。
現代の経済システムへの影響
この「信頼→信用→成長」のパターンは、現代の経済システムの根幹をなしています。現代資本主義は、継続的な成長への信頼なしには機能しません。企業の株式価値、国家の債務返済能力、年金基金の持続可能性など、あらゆる経済活動が将来の成長を前提としています。
実際、経済成長が鈍化または停滞する時期には、この信頼が揺らぎ、信用収縮や経済危機が発生することがあります。2008年の金融危機は、住宅価格の永続的な上昇への過度の信頼が崩壊した結果でした。
持続可能性という新たな視点
このように、近代経済の成功は「永続的な成長が可能である」という信念に基づいています。しかし、地球の資源には限りがあるという認識が広まるにつれ、この信念に対する問いかけも生まれています。
無限の成長は有限の惑星上で可能なのでしょうか?この問いは、科学技術によって効率性を高め、再生可能資源への移行を進めることで解決できるのでしょうか?それとも成長に依存しない新たな経済モデルが必要なのでしょうか?
こうした問いかけは、科学と帝国主義と資本主義が複雑に絡み合って形成された近代世界の次の段階を考える上で、重要な視点を提供しています。私たちの文明の未来は、これからも「将来への信頼」に基づくのか、あるいは新たな原理が必要なのか—これこそが21世紀の中心的な問いかけの一つと言えるでしょう。
なぜ私たちは老いて死ぬのか 多細胞のメリット、デメリット 単細胞生物には修復設備や細胞の自衛隊や医療団がそりっており、それらはすべて生物の命を延ばすことに役立つ。 一方、多細胞にはデメリットもありうる。それは[…]
科学と資本主義は赤い糸で結ばれている

資本主義はもともと、経済の仕組みを説明する理論として生まれた。しかし、今やそれは単なる経済モデルを超え、一種の倫理体系、あるいは信仰のようなものにまで発展していると言えるだろう。
この体系の根幹をなすのが、「経済成長こそが至高の善である」という考え方だ。なぜなら、正義や自由、さらには幸福までもが、経済成長の有無によって左右されると考えられているからである。この「資本主義という新たな宗教」は、近代科学の発展にも決定的な影響を与えた。今日、科学研究の資金源は政府か民間企業にほぼ限られるが、彼らが研究投資を決める際の最大の判断基準は、「それが生産力の向上や利益の拡大につながるかどうか」にある。そのため、近代科学の発展史を語る上で、資本主義の影響を無視することはできない。
まとめ
本書は、科学革命の特異性に焦点を当て、それを促進した帝国主義と資本主義の性質を掘り下げている。加えて、私たちにとって普遍的な秩序となりうる3つの文化のうち、最後の要素である「宗教」、文明と幸福の関係、そして「超ホモ・サピエンス時代へ」と題された人類の未来像についても論じられている。
科学の発展速度を考えれば、私たちの社会が今後、大きな変化を迎えるのは避けられない。そのとき、人類はどのように適応し、どんな選択をするのか。過去を知り、現在を理解し、未来を見据えるための一冊である。
「虚構」、つまり架空の事物を語る力を得たことで、人類は大規模な協力体制を構築し、急速に変化する環境へ適応できるようになった。これが「認知革命」である。 これまで「農業革命」は人類にとって肯定的な出来事とされてきた。しかし、[…]