- 「虚構」、つまり架空の事物を語る力を得たことで、人類は大規模な協力体制を構築し、急速に変化する環境へ適応できるようになった。これが「認知革命」である。
- これまで「農業革命」は人類にとって肯定的な出来事とされてきた。しかし、一般的な農耕民はむしろ狩猟採集民よりも過酷な生活を強いられることとなった。それでも、この変化が爆発的な人口増加をもたらしたのは確かである。
- 人類の文化はたえず変化している。そのなかでも人類にとって普遍的な秩序となりうるのが、「貨幣」「帝国」「宗教」の3つである。
認知革命
「虚構」という発明品

現生人類、すなわちホモ・サピエンスは、およそ15万年前には東アフリカで暮らしていた。しかし、彼らが他の地域へと進出し、ネアンデルタール人をはじめとする他の人類種を淘汰していったのは、約7万年前のことだった。
この劇的な変化の背景には、ホモ・サピエンスの認知能力の飛躍的な向上があると考えられている。この進化は「認知革命」と呼ばれ、その正確な原因は未だ解明されていない。
しかし、この革命を通じて、ホモ・サピエンスは他の動物にはない高度な言語能力を獲得した。そして、現実には存在しないもの――つまり「虚構」を語る力を手に入れたのである。この能力こそが、ホモ・サピエンスを他の人類とは一線を画す存在へと押し上げた。
ホモ・サピエンスは、天地創造の神話や近代国家の民主主義といった、共通の物語を生み出すことができる。この能力こそが、血縁関係のない無数の個人同士を結びつけ、大規模な協力を可能にしたのだ。
実際、人類の社会構造を支えてきたものは、目に見える力や物質的なものではなく、「集合的想像」によって共有された信念である。近代国家の制度も、中世の教会組織も、古代の都市も、さらには太古の部族ですら、この集合的想像によって成り立っている。虚構を生み出し、それを集団で信じることができる――それこそが、ホモ・サピエンスを他の生物と決定的に異なる存在にしたのである。
虚構はすべてを変える、しかも迅速に

物語を語ること自体はさほど難しくない。しかし、それを多くの人々に受け入れさせるのは容易ではない。実際、歴史の大半は「どのようにして多くの人々を納得させる物語を生み出すか」という問いを中心に展開してきたといっても過言ではない。
しかし、一度共通の物語が形成されると、ホモ・サピエンスは驚異的な力を発揮する。なぜなら、人々が共有する信念は、それが崩れない限り社会のあらゆる場面で影響を持ち続けるからだ。例えば、呪術師は神や精霊の存在を本気で信じ、社会運動家は「人権」という概念の実在を疑わない。しかし、どれも厳密には物理的な実体を持たず、人類の豊かな想像力が生み出したものに過ぎない。
さらに、人間の集団的な協力は神話の上に成り立っているため、その神話を別のものに置き換えれば、人々の協力の形もまた変わる。適切な条件が整えば、新たな物語は瞬く間に社会を塗り替えることができる。1789年のフランス革命を例に取れば、それまで人々が信じていた「王権神授説」は一夜にして捨て去られ、「国民主権」という新たな理念が社会の基盤となった。そして、それに伴い政治体制も大きく変化したのである。
こうした柔軟性を可能にしたのが、認知革命だった。ホモ・サピエンスは、環境の変化に適応するために、遺伝子の進化を待たずに行動様式を変え、それを次の世代へと受け継ぐ能力を獲得した。
これこそが、ホモ・サピエンスの成功の鍵である。もしホモ・サピエンスとネアンデルタール人が一対一で戦ったとしたら、身体能力の優れたネアンデルタール人が勝っていたかもしれない。しかし、大規模な集団戦になれば、ホモ・サピエンスの勝利は揺るぎなかった。なぜなら、ネアンデルタール人には虚構を生み出す力がなく、大勢で効果的に協力することができなかったからである。そして、それこそがホモ・サピエンスが生存競争を勝ち抜いた決定的な要因だったのだ。
こうして人類は史上最も危険な種となった

認知革命を経たホモ・サピエンスは、次第にアフロ・ユーラシア大陸を超え、未知の世界へと進出する力を手に入れていった。その最初の大きな一歩が、約4万5000年前のオーストラリア大陸への移住である。これは単なる拡散ではなく、人類史における画期的な出来事だった。なぜなら、ホモ・サピエンスが初めてある大陸で生態系の頂点に君臨し、その環境を根本から変えてしまったからだ。この偉業は、コロンブスのアメリカ大陸到達やアポロ11号の月面着陸にも匹敵するといえる。
それ以前の人類も適応能力を発揮してきたが、その影響は限定的だった。しかし、オーストラリアへ渡ったホモ・サピエンスは、単なる適応者ではなく、支配者となった。彼らの到来とともに、大陸の生態系は劇的に変化した。50キログラム以上の大型動物のほぼすべてが姿を消し、それより小さな種の多くも絶滅した。人類が移動する先々で、かつてない規模の環境破壊が引き起こされたのだ。
次に大きな影響を受けたのはアメリカ大陸だった。当時、海面が低く、シベリアからアラスカへ陸続きで渡ることが可能だったが、その道のりは極寒の地を通らねばならず、並外れた適応力が求められた。
しかし、約1万6000年前、ホモ・サピエンスは防寒に優れた衣服を生み出し、マンモスなどの大型獲物を狩るための高度な武器と戦略を発展させた。こうして、彼らはアメリカ大陸への進出を果たす。
この移住の波は、単なる人類の拡散ではなく、生態系にとっての大災害だった。ホモ・サピエンスの進出とともに、多くの動物が絶滅し、生態系は根底から変えられていった。それは、動物界が経験した最も深刻で、最も短期間に起こった大規模な変化のひとつだった。
農業革命
私たちの食べているものは昔とほとんど変わらない

ホモ・サピエンスは東アフリカを出発し、中東、ヨーロッパ、アジアと広がり、最終的にオーストラリアやアメリカ大陸にまで達した。その過程で、どこに行っても彼らの暮らしは変わらなかった。野生の植物を収集し、野生の動物を狩るという生活スタイルで十分だったからだ。
しかし、約1万年前、劇的な変化が訪れる。突如として、人々は動植物の生命を管理し、操作することに膨大な時間と労力を注ぎ始めた。これが人類史における革命的な転換点、いわゆる「農業革命」である。
農業の始まりは、紀元前9500年から8500年ごろ、現在のトルコ南東部、イラン西部、そしてレヴァント地方の丘陵地帯で始まったと考えられている。この革命的な変化は、紀元前3500年までにはほぼ完成し、その結果、現在私たちが摂取するカロリーの9割以上はこの時期に家畜化・栽培化された作物や動物から得られるようになった。
以前は農業は中東一地域から世界中に広がったと考えられていたが、現在では農業が世界のさまざまな地域で独立して発生したとする説が広く支持されている。紀元1世紀には、ほぼすべての地域で、農業に従事する人々が主流となったと見なされている。
農耕がホモ・サピエンスを家畜化した

これまで、農業革命は人類にとって大きな前進であり、農耕の発明によって、危険で厳しい狩猟採集生活から解放され、豊かで安定した生活を手に入れたと考えられてきた。
しかし、この考えは誤りである。実際、一般的な農耕民は、狩猟採集民よりもむしろ過酷な生活を送ることとなった。農作業に追われる日々は朝から晩まで続き、その結果として椎間板ヘルニアや関節炎といった多くの疾患が蔓延した。さらに、穀物を中心とした食生活は、ミネラルやビタミンが不足しており、消化も難しかったため、健康にも悪影響を与えた。
また、農業生活が狩猟採集生活よりも安定していたわけではない。狩猟採集民は多くの食物種を頼りにしていたため、もし一つの種が手に入らなくなっても、他の種類を多く得ることで難しい時期を乗り越えられた。一方で農耕民は、比較的限られた作物に依存していたため、干ばつや害虫、疫病が一度広がると、何千、何百万という規模で命を落とすこととなった。
さらに、農耕社会が狩猟採集社会と比べて暴力から守られるわけでもなかった。狩猟採集民は、もし強大な集団に圧倒された場合、逃げて他の場所に移動することができた。しかし、農耕民は、もし攻撃を受けると、畑や家、穀倉を放棄しなければならず、その場に留まらざるを得なくなるため、戦争が起きやすくなる。
このように、農業は個々の人々にとっては必ずしも利益をもたらすものではなかった。しかし、ホモ・サピエンス全体にとって見ると、農業の発明は大きな利点をもたらした。なぜなら、穀物の栽培により、単位面積あたりで得られる食物量が飛躍的に増加し、その結果としてホモ・サピエンスは急激に人口を増やすことができたからである。
農耕の始まりは未来の始まり

農業を始めたことにより、人々は定住を余儀なくされた。作物を効率的に育てるためには、場所を移動せず、土地に根付く必要があったからだ。この変化により、ほとんどの人々の生活圏は狭くなったが、同時に「時間」に対する意識は広がり、未来を考えることが増えた。
狩猟採集民は、通常、次の週や来月のことについて深く考えることは少なかった。なぜなら、食物を保存したり所有物を増やすことが困難で、日々の生活をその日その日で何とかすることが主だったからである。
一方、農耕民は未来を見据えて働く必要があった。農業は、長期間の耕作と、収穫の繁忙期を繰り返す季節的なサイクルに基づいて成り立っていたからである。さらに、農業には多くの不確実性が伴った。ほとんどの村では、育てていた作物や家畜の種類が限られていたため、干ばつや洪水、疫病などが起こると、深刻な被害を受けることがあった。そのため、農業の始まりは、同時に未来に対する不安の始まりでもあった。
しかし、農耕民は未来に対して完全に無力だったわけではない。彼らは、予測できない出来事に対応する方法を少しずつ学んでいった。例えば、新たな畑を開墾したり、灌漑用の水路を作ったり、すぐに食べることを我慢して冬や翌年に備えたりすることで、困難を乗り越えようとした。このような取り組みは、後に大規模な政治的・社会的体制の礎となり、農耕社会の発展を支える要素となっていった。
統一へ向かう世界
3つの普遍的な秩序

農業革命以降、人間社会は次第に大きく、そして複雑なものへと進化していった。社会秩序を支える虚構の力によって、人々は生まれた瞬間から特定のルールに従うことを習慣づけられた。この結果、人工的な「本能」が形成され、それが無数の見知らぬ人々が効果的に協力できる基盤を作り上げた。このような協力のネットワークを、私たちは「文化」と呼んでいる。
人類の文化は絶えず変化しているが、長い年月を経て、少数で単純だった文化が、徐々により大きく、より複雑な文明へとまとまってきている。紀元前1000年頃になると、普遍的な秩序をもたらす可能性を持った3つの重要な概念が登場した。最初に登場したのは経済的秩序を築く「貨幣」であった。次に現れたのは政治的秩序を象徴する「帝国」であり、そして第3の普遍的秩序は「宗教」――仏教、キリスト教、イスラム教といった信仰体系であった。
まとめ
本書上巻では、「認知革命」と「農業革命」の2つの重要な転換点について詳しく解説していますが、私たちの社会において普遍的な秩序となりうる3つの文化的要素のうち、「貨幣」と「帝国」についても取り上げています。下巻と合わせて読めば、これまでの人類の歩みを深く理解することができ、さらにこれからの未来に向かって何を目指すべきかを示唆する叡智の書となるでしょう。
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